代表挨拶
昭和26年創業。初代 谷田聰一が機械一つない状況から始めました。
「安心・安全」を第一に「美味しくなければ売れない」=品質維持向上も同じように大切な要因です。
小豆が体に良い事は、昔から「祭事」に使われてきたことでもご理解頂けると思います。
小豆の効能をホームページにまとめております。一度目をとおしてみて下さい。
弊社のあんこを使って頂いた方から「アンパンや生菓子を作っている内に子供さん達が1袋の半分食べてしまった。」・・・というメッセージを頂いたことがあります。あっさり・すっきり。それでいて小豆の風味とそこそこの甘みが子供達の賛同を頂いたのかもしれません。
子供達に「生菓子」や「アンパン」は美味しいと思って頂ける。ご自分のお小遣いで買って頂く事が我々の望です。
会社概要
会社名 | 株式会社 谷田製餡 |
創業 | 昭和25年 |
代表取締役 | 谷田 啓司 |
資本金 | 1,000万円 |
従業員数 | 14名 |
取引銀行 | 阿波銀行 本店 徳島銀行 二軒屋支店 |
取引先 | 和菓子店、パン店、洋菓子店ほか 関西、中国、四国、400社余り |
所在地 | 〒770-8063 徳島市南二軒屋町1丁目3-5 Tel/088-7625-4467 Fax.088-625-4468 |
会社沿革
昭和25年
製あん業を創業
昭和33年
(有)谷田製餡設立
昭和55年
ビジネスホテルオリエント、喫茶トーク開設
平成6年
(株)谷田製餡に改組
平成11年
工場新築
令和1年
ホテル・喫茶廃業
続・代表挨拶
谷田社長の昔話
創業当時の話
30年以上前、初代(おやじ)から何度も聞いたことです。
創業当初、機械は無く、全て手仕事。もっとも、資金無く新たに生あんの製造を始めるのだから当然かもしれません。
直径60㎝ほどの大きな釜、たらい、竹であんだざる。 これだけでどうやって「生あん」を作るのか?聞く前は想像も出来なかった。
炊けたまめをざるに移し、縄を丸めて小豆を押しつぶしながら漉していく。熱くて触れるものではない!が、濾していた。
それを冷やして(数回井戸水で冷やす)布袋に入れ、重ねて水分を抜く。
それを自転車に15袋ほど載せて配達。 遠方は阿南まで。道路は舗装してなく、いたる所に「轍(わだち)」があり、そこにペダルが引っかかると こけて、再度あんこの積み直し。
やっと車を買えて喜んでいましたが、山道の下り坂でタイヤが独りでに転がっていく?その途端 車が傾き座礁。と同時にタイヤは下の金物屋に突撃。高額の弁償をさせられた、とのこと。当時の「ボルト」は脆く再々あったようです。今でも大型トラックのタイヤが転がっていく場面をテレビでよくみますが、当時は定期的にボルトを交換しないといけなかったようです。
小学生の頃(昭和30年後半)には機械化出来ており、手伝わされた記憶があります。
うどんのはなし
当時は、うどんの製造もしていました。昭和40年頃。小麦粉を練り、ローラーで薄く伸ばし、最後に5mm、長さ25cmほどにカット(練る・伸ばす・カットまで半自動機械使用)。この切る工程(切れたメンを丁寧にまとめて箱に並べる)をよく手伝わされました。
ゆがけた麵をみそ汁のお椀で一定の重さに計り 袋詰め。筒の上から入れ、下に落ちるを封が出来る仕組みで、その工程の方が面白く「やりたい」と言っても、背が低いから届かないだろ!とやらせてもらえなかった。